近年、全国的に「熊(クマ)の出没」に関するニュースが後を絶ちませんね。
街中にまで熊が現れたという報道を見て、
「怖いな」
「どうしてこんなことになったんだろう」
と不安を感じている方も多いのではないでしょうか。
去年の流行語大賞にノミネートされそうなほど、私たちにとって大きな話題となりました。
実は、私が暮らしている場所も、新しい工房があるのは森の中。
昼間は木漏れ日が差し込んで本当に気持ちがいい場所なんですが、
夜になると……正直、怖いです(笑)。
お化けが怖いとか、そういう話ではありません。
灯りが消え、漆黒の闇に包まれると、
「ああ、ここから先は人間の場所じゃないんだな」
という気を感じるんです。
今日は、そんな
「田舎暮らし」の現場で、
地元の農家のお母さんたちから聞いた衝撃的なお話と、そこから見えてきた
「人間と自然の消えた境界線」
についてお話ししたいと思います。
なぜ今、熊や動物たちが里に降りてくるのか。
その理由は、単なる気候変動だけではありませんでした。
私たち人間が少し忘れてしまった、「真の自然共生」とは?
コーヒーでも飲みながら、少しだけ耳を傾けていただけたら嬉しいです。
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発酵食品を手作り、田舎暮らしを実践している椿留美子です。
東京から家族で移住、のんびり・・と思いきや、全く忙しい!
全然スローライフじゃないよ〜、と思いながらあたふたしています。
田舎暮らしの知恵と奥深さをお伝えしたいと
東京と田舎を行ったり来たりしながら発酵教室を開催しています。
このお話を音声で聞きたい方はこちらからどうぞ。
熊が出没するのはなぜ?「田舎暮らし」の現場から考える、消えた境界線とこれからの「自然共生」
昔は干し柿を吊るしても平気だった?田舎暮らしの先輩が語る「かつての平和」
先日、ご近所の農家のベテランお母さんたちとお茶を飲みながらおしゃべりをしていました。
この「おしゃべり」の時間というのが、私にとっては宝物のような時間で、いつも田舎暮らしの知恵や、自然と共に生きるコツを教えてもらえるんです。
そこでふと、動物被害の話になりました。
今、私の住む地域でも、鹿や猿、猪などの気配を感じることが多くなっています。
ところが、そのお母さんたちが口を揃えてこう言ったんです。
「昔はね、動物なんて里まで降りてこなかったのよ」
カラスさえ来なかった?動物と人間の間にあった「見えない壁」
これ、すごく驚きませんか?
例えば、この季節の風物詩である「干し柿」。

今、私の家で干し柿を作ろうと思ったら大変です。外に干したまま目を離せば、あっという間に猿や動物たちに取られてしまいます。
だから、網をかけたり、干す場所を工夫したりと、みんな必死で対策をしているんです。
でも、お母さんたちは言うんです。
「昔は軒先に吊るして、ずっと干しっぱなしでも全然平気だった」と(!)
動物に取られることもなければ、畑が荒らされることもほとんどなかったそうです。
さらに驚いたのは、「カラス」の話です。
今や都会でも、ゴミ捨て場のカラス被害は深刻な問題ですよね。
ネットをかけたり、ボックスに入れたりと厳重な管理が必要です。

「田舎なんて、昔からカラスだらけだったんじゃないの?」と思いますよね。
でも、昔はカラスだって、ちゃんと山の中だけで暮らしていて、人間の生活圏には入ってこなかったそうなんです。
昔の方が、今よりもっと自然が豊かで、山も近かったはず。
それなのに、なぜ動物たちは入ってこなかったのか。
それは、かつての人間と動物の間には、目には見えないけれど、
お互いの領域を侵さない「強固な境界線」が存在していたからなんです。
夜の森で感じる「ここは人間の場所ではない」という本能
冒頭でもお話ししましたが、私は夜の森を歩くのが怖いです。
車で通る時ですら、「何かが飛び出してくるかもしれない」という緊張感があります。
この恐怖感は、単に「襲われるかもしれない」という物理的な怖さだけではない気がしています。
「ここはもう、人間のテリトリーではない」
ということを、本能的に感じ取っているのかもしれません。
昔の人々は、この感覚をもっと鋭く持っていたのではないでしょうか。
そして動物たちもまた、
「ここから先は人間がいる場所だ」
ということを本能的に理解し、恐れ、近づかなかった。
お互いに「リスペクト(畏敬の念)」を持って住み分けていた時代。
それが、ここ数十年でガラガラと崩れてしまったのでは?
熊が出没するのはなぜ?ニュースと実体験から見えてきた2つの理由
では、なぜその「強固だった境界線」は消えてしまったのでしょうか?
ニュースで語られる専門家の話や、
実際に山で暮らす人たちの話を総合すると、大きく2つの理由が見えてきます。

1. 山の実り不足と、人間が手放した「里山のバッファゾーン」
一つ目は、よく言われている「気候変動によるエサ不足」です。
猛暑や天候不順の影響で、山にあるどんぐりや木の実が不作になっています。
お腹を空かせた動物たちが、食べ物を求めて降りてくる。これは確かに大きな要因です。
でも、それだけではありません。
もっと根本的な問題は、「人間が山の手入れをしなくなったこと」にあります。
昔は、山と村の間にある「里山(さとやま)」と呼ばれる場所を、人間が管理していました。
下草を刈り、枝を払い、薪や炭として利用する。

そうやって人の手が入った里山は、見通しの良い場所になります。
この「見通しの良い空間」こそが、動物たちにとってのバッファゾーン(緩衝地帯)だったんです。
動物たちは、身を隠せない開けた場所を嫌がります。
「ここを出たら人間に見つかる」
という恐怖心が、自然のバリケードになっていたんですね。
しかし今、過疎化や高齢化で、山の手入れをする人がいなくなりました。
私の家の周りの森もそうですが、持ち主はいても手入れされず、鬱蒼(うっそう)としたジャングルのようになっている場所がたくさんあります。
藪(やぶ)が茂り、見通しが悪くなれば、動物たちは安心してそこまで降りてこられます。
人間が手入れをやめたことで、
「動物たちの隠れ家」が人間の家のすぐ裏まで迫ってきてしまったのです。
2. 「味」を覚えてしまった動物たちと放置された恵み
もう一つの理由は、少し耳の痛い話かもしれません。
動物たちが
「人間の食べるものは美味しくて、楽に手に入る」
ということを学習してしまったことです。
放置された柿の木や、適切に処理されなかった生ゴミ。
これらは動物たちにとって、山の中を歩き回ってどんぐりを探すよりも、
はるかに効率よく高カロリーな食事にありつける「ご馳走」です。
一度その味を覚えてしまった動物は、もう山には戻りません。
親子代々、「あそこに行けば美味しいものがある」と学習し、人間を恐れなくなっていく。
農家のお母さんが言っていた「昔は住み分けていた」という言葉。
それは、人間が山を管理し、自分たちのテリトリーを明確に守っていたからこそ
成り立っていた平和だったのです。
真の「自然共生」とは?境界線を引き直すためにできること
こうして考えてみると、今起きている問題は
「動物が凶暴になった」
というよりも
「人間と自然の距離感がおかしくなった」
結果だと言えるのではないでしょうか。
私たちはどこかで、
「自然共生」=「自然をそのままにしておくこと」
だと勘違いしていたのかもしれません。(というか私は勘違いしていました!)
でも、本当の共生とは、お互いが心地よく暮らすための
「適切な距離」を保つ努力のことなんですよね。
放置ではなく「手を入れる」ことが、山へのリスペクト

私は普段、パン作りを通して「酵母」という小さな命と向き合っています。
酵母も自然の一部です。
彼らが元気に活動するためには
温度を管理したり、環境を整えたりと
人間が適切に手を入れる必要があります。
放ったらかしにすることが、優しさではありません。
相手のことを理解し、必要な手助けや管理を行うこと。
山も同じだと思うんです。
人間が山に入り、草を刈り、光を入れる。
「ここは人間が管理している場所だよ」
というメッセージを常に発信し続けること。
それが、結果として動物たちにとっても「ここからは入ってはいけないんだ」という
分かりやすいルールになり、無用な衝突を避けることに繋がります。
「手を入れる」ということは
相手を支配することではなく、リスペクトを持って境界線を守ることなのです。
都会でもできる?「ここは人間のテリトリー」というサインの出し方

「田舎暮らしの話でしょ?」と思われるかもしれませんが
これは都会に住む皆さんにも通じる話です。
例えば、キャンプに行った時にゴミを絶対に持ち帰る。
生ゴミを出す時に、カラスに荒らされないようひと手間かける。
自分たちが食べているものが、どんな自然環境から来ているのかを知る。
そういった小さな意識の一つひとつが、
「ここは人間の暮らす場所であり、私たちは自然を尊重しながら生きています」
というサインになります。
干し柿を安心して吊るせる時代は、もう戻ってこないかもしれません。
でも、私たちが自然との付き合い方を思い出し
新しい形での「境界線」を引き直すことはできるはずです。
まとめ:恐れではなく理解を。動物との適切な距離感が豊かな暮らしを作る

森の暗闇を見つめながら、そんなことを考えました。
熊が出るのは怖いことです。
でも、ただ怖がって排除しようとするのではなく、
「なぜ彼らが降りてこなければならなかったのか」
とどうしても考えてしまうんですね。
これは私が演劇をやっていたからかもしれません。
演劇では「なぜそうなったのか?」という
プロセスを考えるという作業がとても重要だからです。(職業病です笑)
自分たちの暮らしが、自然に対して「隙(すき)」だらけになっていなかったか。
便利な生活の中で、忘れてしまった「野性」との距離感。
そんなことを少し見直すだけで、私たちの暮らしはもっと地に足のついた、
豊かなものになる気がしています。
菌(酵母)も、動物も、そして人間も。
それぞれが適切な場所で、それぞれの命を輝かせられる。そんな世界を作っていきたいですね。
このブログやラジオでは、こうした自然な生き方や、自家製酵母パン作りの知恵、発酵食のある暮らしについて発信しています。
「なるほどな」と思っていただけたら、ぜひ生活の中で小さな「境界線」を意識してみてください!




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