スマホで即座に繋がれる現代。
かつて私たちは、相手を信じて「待つ」という冒険のような時間を過ごしていました。
不便だった時代の待ち合わせと、時間をかけて醸される「発酵食」の共通点とは?
便利さと引き換えに手放してしまった「心の忍耐力」や、
自然のリズムに身を委ねる生き方について綴ります。
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発酵食品を手作り、田舎暮らしを実践している椿留美子です。
東京から家族で移住、のんびり・・と思いきや、全く忙しい!
全然スローライフじゃないよ〜、と思いながらあたふたしています。
田舎暮らしの知恵と奥深さをお伝えしたいと
東京と田舎を行ったり来たりしながら発酵教室を開催しています。
携帯がなかった頃の「待ち合わせ」と、発酵食を仕込む時間は似ている。|効率化の裏で失った「信じて待つ」心の忍耐力
今日のお話は少しゆっくりとコーヒーでも飲みながら、
リラックスして読んでいただけたら嬉しいです。
さて、先日小学校時代からの幼馴染と久しぶりに再会しました。
小さい頃からの友人は久しぶりに会ってもずっと会っていたかのような
変わらない雰囲気で話せるのが本当にいいですね。
そこでふと盛り上がった話題があります。
「昔って、どうやって連絡を取っていたっけ?」
「携帯がない時代、どうやって待ち合わせしてたんだっけ?」
今の若い世代の方には信じられないかもしれませんが、
ほんの数十年前まで、私たちは
「家を出たら最後、相手と連絡がつかない」
という世界で生きていました。
今日は、そんな不便だけれど温かかった
「昔の待ち合わせ」のエピソードと
そこから見えてくる
「信じて待つことの豊かさ」
についてお話ししたいと思います。
そして不思議なことに、この「待つ」という行為は、私が日々お伝えしている
「発酵食作り」の心と、とても深く繋がっているのです。
このお話を音声で聞きたい方はこちらからどうぞ。
一度家を出たら連絡はつかない。あの頃の「約束」にあった覚悟
今、誰かと待ち合わせをする時、どんな風に連絡を取りますか?
「今着いたよ」
「あと5分で着く」
「ごめん、電車一本遅れる!」
LINEひとつで、リアルタイムにお互いの状況が手に取るようにわかりますよね。
でも、携帯電話が影も形もなかった時代、待ち合わせはまさに「冒険」でした。
家電と駅の伝言板が繋いでいた、目に見えない信頼関係
当時の連絡手段といえば、家の固定電話(家電)だけ。

友達を遊びに誘うにも、まずはその家の電話番号を回さなければなりません。
特に学生時代、異性の友達や気になる男の子の家に電話をかける時の緊張感といったらありませんよね(笑)。
「親御さんが出たらどうしよう…」
「お父さんだったら怖いな…」
ドキドキしながら受話器を握りしめ、「あ、あの、〇〇君いらっしゃいますか?」と、これ以上ないほど礼儀正しく振る舞う。
電話をかけること自体に、ものすごくエネルギーを使っていた時代でした笑
そして、いざ待ち合わせ場所へ。
駅には必ず「伝言板」という黒板がありましたよね。
- 「先に行ってるよ ルミコ」
- 「30分待ったけどいないから帰るね」
- 「〇〇喫茶店にいます」
チョークの粉にまみれたそのメッセージだけが、相手と自分を繋ぐ唯一の手がかり。
「XYZ」なんていう暗号が流行った時代もありました(!)
今思うと、あの伝言板に残された走り書きには、
デジタル文字にはない「体温」のようなものが宿っていた気がします。
「遅れる」が言えなかったからこそ、私たちは緻密に準備した
そして何より違うのは、
「家を出たらもう連絡手段がない!」
という緊張感です。
電車が遅延しても、道に迷っても、相手に伝える術がありません。
だからこそ、私たちは必死でした。
- 「何時の電車に乗れば確実に間に合うか」
- 「もしこの店が閉まっていたら、次はどうするか」
- 「もし相手が来なかったら、何分まで待つか」
事前に頭の中でシミュレーションをして、
時刻表をしっかり調べて、約束の時間には絶対に遅れないように家を出る。
(分厚い時刻表が読めるのもこの時代のおかげです)
「約束」に対する覚悟の重さが、今とは少し違っていたように思います。
「相手を不安にさせてはいけない」
そんな思いやりが、当時の私たちの行動の根底にはありました。
不便さの裏側にあった、再会という名の「奇跡」
それでも、アクシデントはつきものです。
約束の時間になっても相手が現れない。
今なら「遅れる」の一言があれば安心ですが、当時はそうはいきません。
30分、1時間…相手を信じて待ち続けたエネルギー

時計の針が約束の時間を過ぎる。
5分、10分、30分…。
「どうしちゃったんだろう?」
「事故にでも遭ったのかな?」
「もしかして、日にちを間違えたのは私の方?」
不安はどんどん膨らみます。
公衆電話から相手の家に電話しても、誰も出ない(すでに出かけているから)。

今の若い人たちが聞いたら「なんで帰らないの?」と言うかもしれません。
でも、私たちは待ちましたね。
30分でも、1時間でも。
「あの子は必ず来るはずだ」
「何か理由があるはずだ」
文庫本を読んだり、人間観察をしたりしながら、ただひたすらに相手を信じて待つ。
あの時の「信じるエネルギー」って、すごいものがあったなと思うんです。
相手を信頼していなければ、連絡なしに1時間も待てませんよね。
不便だったからこそ、私たちは「人を信じる力」や「忍耐力」を、知らず知らずのうちに鍛えられていたのかもしれません。
不安な時間が、会えた瞬間の感動を「美味しく」する

そして、人混みの中に相手の姿を見つけた瞬間。
あの時の安堵感と爆発的な喜びを覚えていますか?
「あーーー!いたーーー!!」
「よかった、会えたー!!」
ただ会えただけなのに、まるで生き別れの家族と再会したかのような感動(笑)。
「電車が止まっちゃって…ごめんね!」
「ううん、よかった。無事でよかった!」
不安な時間を過ごした分だけ、会えた時の喜びは何倍にも膨れ上がります。
それはまるで、じっくりと時間をかけて熟成させたお酒や、
手間暇かけた料理の味わいのようなもの。
毎回が「奇跡のような再会」だったあの頃。
私たちは、待つ時間も含めて「相手との関係」を味わっていたのかもしれません。
便利さと引き換えに、私たちは「待つ力」を忘れていないか?
現代はどうでしょうか。
私たちは携帯電話という魔法の道具を手に入れました。
いつでもどこでも繋がれる。

Googleマップがあれば道に迷うこともないし、乗換案内アプリが最適なルートを教えてくれる。
確かに、ものすごく便利になりました。
でも、その便利さと引き換えに、私たちが手放してしまったものがあるような気がしてなりません。
タイパ(タイムパフォーマンス)重視で失われた、心のゆとり
「着いたら連絡して」
「とりあえず現地集合で」
約束がルーズになったと感じることはありませんか?
「遅れる」と簡単に連絡できる安心感が、約束への覚悟を薄め、
計画を立てる力を弱めてしまっているのかもしれません。
そして何より、「待てなくなった」私たち。
LINEの既読がつかないだけでモヤモヤする。
返信がすぐに来ないと不安になる。
動画は倍速で見る。
結果がすぐに出ないことには手を出さない。
世の中全体が「タイパ(タイムパフォーマンス)」を重視するあまり、
少しの「空白の時間」さえも無駄だと感じるようになってしまったかのようです。
すぐに答えが欲しい。
すぐに結果が欲しい。
すぐに反応が欲しい。
これは講座受講生さんにも傾向としてあります。
時代の流れなんですね。
でも、生き物としての私たちの心や体は、そんなに急には変われません。
便利すぎる社会のスピードと、私たちの本来の生体リズム。
そのズレが、現代特有の「生きづらさ」や「息苦しさ」に繋がっているのではないでしょうか。
発酵食作りは、失われた「心の忍耐力」を取り戻す稽古
私が主宰する教室では、天然酵母パンだけでなく、お味噌や梅干し、沢庵漬けといった
日本の伝統的な発酵食をお伝えしています。

生徒さんと一緒に仕込みをしていると、よくこんなお話になります。
「先生、これいつ食べられますか?」
「明日には美味しくなりますか?」
「目安はいつぐらいですか?」
気持ちはとってもよくわかります(笑)。
でも、発酵食は「待つこと」が仕事の9割と言っても過言ではありません。
味噌も梅干しも、人間の都合では早くならない
例えば、お味噌作り。
大豆を煮て、潰して、麹と塩を混ぜて、樽に詰め込む。
作業自体は1日あれば終わります。
でも、そこからが本当の「料理」の始まりです。

樽の中で、目に見えない微生物たちが働き始めます。
麹菌が酵素を出し、大豆のタンパク質を旨味に変え、時間をかけて
ゆっくり、ゆっくりとあの芳醇な香りと深い味わいを醸し出していく。
その間、私たち人間にできることは何でしょうか?
「早く美味しくなれ!」とスマホでメッセージを送ること?
いいえ、できませんよね(笑)。
私たちにできるのは、環境を整え、ただ信じて待つことだけ。
半年、一年という長い月日をかけて、季節の移ろいと共に熟成していくのを、じっと見守るのです。
それはまるで、連絡のつかない友人を駅の伝言板の前で待っていた、あの頃の感覚と似ているかも?!
自然のリズムに身を委ね、経過を愛でる贅沢
現代のスピード感からすると、
「半年も待つなんて、非効率だ」
「スーパーで買った方が早い」
と思われるかもしれません。
でも、実際に手作り味噌を仕込んだ生徒さんたちは、皆さんこうおっしゃいます。
「待っている時間が、楽しみです」
「樽を見るたびに、元気に育ってるかな?とワクワクします」
「忘れた頃に出来上がる感動は、買ったものとは比べ物になりません」

そう、発酵食作りとは、単に食べ物を作る作業ではありません。
「自分の思い通りにならない時間」を受け入れ、
自然のリズムに身を委ねる稽古(けいこ)なのです。
「まだかな、まだかな」と待つ時間は、決して無駄な時間ではありません。
それは、結果が出た時の喜びをより深く、大きくするための
「助走期間」であり、私たちの心に「忍耐力」という名の筋肉
を取り戻させてくれる大切な時間なのです。
不安な時間を過ごした分だけ、会えた時の感動が増すように。
じっくり待った分だけ、お味噌は体に染み渡るような深い味になります。
効率化ばかりを追い求めて疲れてしまった心に、
「まあ、焦らずゆっくり行こうよ」
と、微生物たちが優しく語りかけてくれているような気がしませんか?

まとめ|たまにはスマホを鞄にしまい、豊かな「待ち時間」を楽しもう
携帯がなかった頃、私たちは不便さの中で「人を信じる力」や「待つ強さ」を持っていました。
それは、今の時代が忘れかけている、人間本来の豊かさだったのかもしれません。
もし、あなたが今、
「すぐに結果が出なくて焦っている」
「返信が来なくてイライラしている」
「何かに追われているようで息苦しい」
と感じているなら。
ぜひ一度、
「発酵食」
という、時間そのものを味わう世界に触れてみてください。

そして、たまには日常の中でも「あえて待ってみる」実験をしてみませんか?
スマホを鞄の奥にしまって、時計も見ずに、空を流れる雲を眺めてみる。
電車が遅れても「読書の時間が増えた」と捉えてみる。
友人を待つ間、人間観察を楽しんでみる。
その「空白の時間」こそが、人生を味わい深いものにしてくれる
「発酵の時間」になるかも。
便利さは素晴らしいけれど、たまには不便というスパイスも悪くない。
そんな風に、心に少しの「猶予(ゆうよ)」を持って、今日という一日を過ごしていけたら素敵ですね。
それでは、今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
明日も元気に、発酵していきましょう!笑




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